民法で規定されている法定離婚事由の中で、婚姻を継続し難い重大な事由については、特に定義がなく様々な離婚原因を包括的に取り扱います。
明らかな不法行為が無い場合、夫婦関係の破綻に繋がっていれば請求理由になります。
定義が無い以上、離婚を請求する側が婚姻を継続し難いと訴えれば、一応それだけで該当はするのですが、全てで離婚が認められることはありません。
ここでは、主に離婚訴訟での扱いについて解説しており、基本的には調停においても同様の考え方がされていると思ってください。
- 性格の不一致・愛情の喪失
- 暴力・虐待・侮辱
- 同居・協力扶助義務違反(悪意の遺棄にもあたる)
- 親族との不和
- 性生活に関する問題
- 逮捕・受刑
- 病気・身体的な障害
- 宗教の違い
最も多いのは性格の不一致・愛情の喪失
婚姻時は一生のパートナーとして選んだ相手でも、婚姻生活を続けると見えてくる面は多く、性格の不一致や愛情の喪失を理由にする離婚請求は多いです。実際、離婚調停の申立て理由で、最も多いのは性格の不一致です。
協議離婚の理由に統計はありませんが、円満な夫婦が離婚する動機は希薄なので、同様であることは容易に推測できます。
どんな夫婦でも少なからず性格は不一致
元は他人同士が夫婦になるのですから、常識的に考えても性格は最初から少なからず不一致ではないでしょうか。
したがって、円満な婚姻を維持するためには、お互いの相違を理解し、受け入れる努力がなくてはなりません。その過程には、必ず対話があり、相手と真摯に向き合う姿勢は信頼に直結します。
ところが、価値観や人生観はそれぞれなので、どれほど理解しようとしても、受け入れがたい相違はあるでしょう。
そのような、克服できない相違に我慢できなくなると、やがては愛情が失われ、DV、性生活の拒否、家庭内別居など他の状況に発展します。
つまり、性格は不一致というのは、夫婦に最初から存在しながらも、婚姻関係を破綻させる起点になるということです。
裁判所の判断基準は婚姻関係の破綻
離婚訴訟では、性格の不一致による離婚請求でも、認容(認める)か棄却(理由がない・認めない)の判決が出されます。これは、合意がなければ不成立で終わる離婚調停との違いです。
しかし、ほとんどの夫婦が性格の不一致を乗り越えて婚姻を継続していることから、裁判所としては、単に性格の不一致だけで離婚を認めるわけにもいきません。
そこで、注目されるのは婚姻関係の破綻の程度です。婚姻関係に回復の見込みが感じられず、婚姻を続けさせることに意味がないと判断されれば、離婚を認める判決が出されます。
このことから考えると、離婚請求の理由は性格の不一致だとしても、その結果どうなって、婚姻関係は破綻していることを主張するのが理にかなっているでしょう。
繰り返しとなりますが、性格の不一致はどの夫婦にもあることなので、性格の不一致から生まれた夫婦の不協和を示す現状と、その過程を説明するのが重要だということです。
暴力、虐待、侮辱は認められやすい離婚原因
暴力、虐待、侮辱(以下、暴力等)は、人格権を侵害するものとして、社会通念上も違法性は疑いの余地がありません。
ですから、暴力等で離婚を請求することには十分な根拠があり、相手の有責性を問えるので認められやすい離婚原因です。
身体的暴力と精神的暴力
身体的暴力は、犯罪行為ですらあるため正当化されることはなく、婚姻生活のトラブルを話合いなどで解決せず、暴力によって人格権を侵害すること自体が、重く受け止められていると考えましょう。
また、身体的暴力では、しばしば診断書が証拠として提出されます。
医師は、傷の診断をしても、それが配偶者による暴力だとは断定できないので、診断書があっても配偶者の暴力だと直ちに立証はできませんが、相手が暴力を認めた場合は当然のこと、背景として容易に暴力を推察できる説明が伴えば認められます。
その一方で、精神的暴力の立証は難しく、DVやモラルハラスメント(モラハラ)という言葉の浸透で、徐々に認知されるようになっても、相手が認めない限り事実確認が不可能に近いです。
ジェンダー問題において、極めて遅れている日本でも、徐々に差別的な言動がニュース等で取り上げられるようになりました。
とりわけ、高齢で高い地位の男性が、差別的発言を指摘されるケースは、誰でも目にしたことがあるのではないでしょうか。しかも、その言い訳がひどすぎて聞くに堪えないことが多いです。
影響力が大きく慎重な発言を求められる人物ですら、差別だと認識せずに失言するのですから、一般家庭においても、配偶者を傷つける言動が無意識かつ日常的にあっておかしくありません。
また、DV冤罪で良くあるように、虚言による「でっち上げ」が可能なため、相手が否定する場合は真実の究明が難しいでしょう(映像や音声があれば別ですが……)。
それでも、最終的なポイントは婚姻関係の破綻、つまり、夫婦として続けることができないという気持ちですから、深刻な精神的暴力が引き金になったと訴えれば、離婚が認められる可能性は十分にあります。
同居・協力扶助義務違反
夫婦には同居・協力扶助義務がありますので(民法第752条)、正当な理由のない別居や、婚姻生活に必要な協力(経済的な協力を含む)を怠ることは、同居・協力扶助義務違反として離婚を訴える理由になります。
ただ、同居・協力扶助の義務違反は、悪意の遺棄として単独の離婚原因にもなり、婚姻を継続し難い重大な事由の境界は明確ではありません。
結局のところ、悪意の遺棄に該当しないとしても、婚姻を継続し難い重大な事由として訴えることは可能なわけで、裁判所が婚姻関係の破綻を認定すれば離婚となります。
婚姻費用分担義務と不労・浪費
婚姻継続のための生活費(婚姻費用)は、互いに分担する義務を負っています(民法第760条)。
しかし、多くの夫婦において婚姻費用の分担は必ずしも公平ではありません。なぜなら、職業労働と家事労働を分業することで、生活が成り立っているケースは多いですし、個人の収入能力に差があるのは当たり前だからです。
そのため、不労や浪費が問題となるのは、夫婦の協力関係が崩れている場合に限られます。
例えば、夫婦の一方が収入もないのに怠惰な生活を続け、家庭が困窮してしまう事態は、間違いなく協力扶助義務に違反しているでしょう。
また、夫婦の収入に不相応な浪費を続けることも、同じく協力扶助義務違反に相当します。
親族との不和
一方の配偶者が、他方配偶者の親族と折り合わず、結果として夫婦関係にも影響してしまうケースは少なくありません。
核家族化が進んだ近年では、三世代同居が少ないとはいえ、いわゆる義理の親とうまくいかないという話は、いつの時代でも聞かれます。連れ子再婚で、子と配偶者(双方が血縁ではない)との不和もありますよね。
さて、親族との不和で婚姻関係が破綻したとして、その原因が夫婦に全くないのであれば、夫婦のどちらも責められないので、どちらからの離婚請求も認められやすいと言えます。
しかしながら、普通に考えて親族との不和では、親族と血縁関係にある側が、関係悪化を知りながら放置していたり、親族に同調して配偶者を責めたりしていないでしょうか?
結果として、それが配偶者の不信感につながり、夫婦関係を悪化させたとなれば、場合によっては有責性と問われても仕方がないと考えられます。
性生活に関する問題
性的欲求は個人差が大きいので、何が正常で何が異常なのかは難しいですが、判例を見る限り、裁判所は夫婦間の性生活を必要なものとして重要視しているようです。
性交渉を重視しない合意、高齢、病気・怪我などの合理的な理由がある場合を除きます。
よって、性交拒否、性交不能、異常な性欲、異常な性癖のように、およそ正常と呼べる性生活を妨げる事情は、婚姻を継続し難い事由として離婚が認められやすい傾向です。
もっとも、こうした裁判所の判断は、性生活の障害となっている被告の有責性を問わずとも、耐えがたい性的不満から婚姻継続の意欲が失われた原告に、請求棄却で婚姻継続を強いるのは、酷だとする救済の意味合いがあるでしょう。
なお、性交渉に応じることは、夫婦の協力義務に含まれるとする見解もありますが、当サイト管理人は否定的で、もっと柔軟に考慮すべきだとする立場です。
その理由は、望んだ性交渉を拒絶された配偶者の精神的苦痛と、望まない性交渉に応じた配偶者の精神的苦痛で、どちらかを重視すべき理由はなく、性交渉が協力義務であるならば、義務的に強要される性交渉には、もはや夫婦の絆を深める要素が感じられないからです。
宗教の違い
日本国憲法第20条は、信教の自由を保障しており、夫婦で信仰する宗教が違うからといって、離婚を請求する理由にはなりません。
ただし、宗教活動が日常生活の支障になっていたり、配偶者やその親族と信仰上の対立で不仲になったりと、何かしらのトラブルによって、夫婦関係が悪化することはあるでしょう。
特に、信仰が深ければ深いほど、生活への影響は大きくなるのが宗教の特徴でもあるので、夫婦の協力義務を果たせないほど傾倒してしまうのは、夫婦関係に限ると明らかに問題です。
また、ひとつの家庭に異なる宗教が存在すると、生活習慣の違いにも発展して、婚姻を継続し難いとする訴えが出てくることは想像できますよね。
そのような場合、信仰を変えるように働きかけることは憲法に反しますし、裁判所も有責性を問えませんので、夫婦いずれの離婚請求でも認められると考えられます。