調停も裁判も同じ裁判所手続なので、両者は時々同じように考えられ、調停が裁判の簡易版と捉えられたり、前哨戦だと思われたりしています。
少なくとも、調停が裁判の簡易版というのは明らかに違いますが、裁判の前哨戦というのは、当たらずとも遠からずです。
確かに、裁判の前に調停から始めなければならない調停前置主義が適用される争いもありますし、調停が後の裁判を見据えている場合があるので、前哨戦だといえば前哨戦でしょう。
しかし、結果的に裁判で解決するとしても、調停を踏まえて裁判が行われるのではなく、調停不成立(調停で解決せずに終了すること)でも裁判としては最初から始まるので、調停の過程は裁判に無関係というのが建前です。
裁判という言葉は、一般的に訴訟と同じ意味で使われますが、本来の意味での裁判は、訴訟に限らず裁判所(裁判官)が当事者に判断を下すこと、または下した判断そのものを広く意味します。
訴訟での判決だけではなく、いわゆる裁判所命令も裁判の結果ですし、移送・自庁処理の決定や家事事件での審判も裁判の一種です。
正確な用法がむしろ混乱の元になるので、この記事では裁判を訴訟と同じ意味で使っています。
まずは裁判所への先入観を拭い去る
調停が誤解されやすいのは、裁判所という言葉が持つ独特のイメージです。
多くの人にとって、馴染みのない裁判所は近寄りがたく、悪いことをして裁かれる、または激しい争いの決着を付ける場所という先入観を避けられません。
一生に一度も裁判所へ行かない人だって少なくないのですから、調停が裁判所で行われることにものすごく抵抗があるのではないでしょうか。
とりあえず裁判所が持つ先入観から来る誤解は解いておきましょう。
調停で話すのは調停委員という民間人
さて、裁判所といえば裁判官や法廷をイメージしてしまうのは仕方がないとして、調停で裁判官と話すと思っていないでしょうか?
裁判官と話すなら、緊張でうまく話せない人は多いでしょう。何といっても、法の番人である裁判官が相手では、緊張するのも無理はありません。
しかし、ほとんどの調停は民間人の調停委員と話すので、考えているほど調停の現場は堅苦しくありません(裁判官だけで行う調停もあります)。もちろん、争いの最中ですから談笑しながらとはいきませんが、かしこまって話す必要もないのです。
この誤解を解いておかないと、妙に身構えて調停に臨むことになります。調停制度は、一般の人が広く利用できるように用意されていて、裁判所という堅いイメージを和らげるのも調停委員の大事な役目です。
調停と裁判の位置付けの違いを知る
調停も裁判も、当事者間で争いが解決しないときに利用できる制度で、どちらでも決まったことは守らなくてはならず、覆すのは容易ではありません。裁判所で行われる以上、決まれば法的な効力を生じるのは当然だからです。
では、調停と裁判の違いとは何でしょうか?
その違いは、「誰が決めるか」という根本的なところにあって、調停は当事者の意思で決まり、裁判は裁判官の判断で決まります。
この違いを知らないと、いくら調停が裁判とは違うと説明しても、なかなか理解できないはずです。調停が当事者の意思で決まる点は、調停の持つ自由度の高さを意味しており、裁量権が当事者にあることの表れです。
調停への出欠は本人が決められる
調停を申し立てる(調停の申込みをする)のは、当事者のうちのどちらかです。当事者同士の話合いではどうにも進展しないとき、裁判所が間に入って、話合いを続けるための手続が調停です。
つまり、調停は話合いの延長線上にあるため、実は話し合わないという選択肢も残されています。調停で話し合わないとは、即ち調停を欠席することを意味し、欠席できるかどうかは裁判との大きな違いです。
どこまでも当事者の意思が優先され、調停はしばしば欠席によって何も決まらずに終了します。それは争いの早期解決にとって明らかによくありません。
それでも、最後の手段として裁判があるので、全てを裁判で争う状況に比べ、話合いで解決する調停があると、格段に裁判が減る結果になるでしょう。
調停を誤解したままだと解決が遅れる
調停への誤解が少しでも解けたでしょうか?
説明してきたように、調停は裁判よりもはるかに利用しやすく、本人の意思を妨げられない制度なので、場合によっては不満かもしれません。
しかし、何かトラブルがあると、普通は誰でも話合いから始めるので、別な機会を設け、間に人を挟んで話し合うと思えばイメージできるはずです。
調停が開かれるのは裁判所だから……とためらう時点で、解決までの時間が遅れていくのは間違いないでしょう。せっかく利用できる制度はできるだけ利用し、少しでも解決に向かうように調停を考えてみるべきです。