父母が別居している状態において、どちらの親が子と一緒に暮らすのかは、親にとっても子にとっても重要です。
別居している父母が共同監護(共同養育)に賛同する場合は、子の意向を聴きながら双方が分担して自由に共同監護すればよく、そこに監護者の争いは起こらないでしょう。
したがって、子の監護者の指定調停は、主に単独監護を目的とする親から申し立てられ、他方の親から干渉されずに子と暮らしたい願望があります。
ところで、監護権は親権の一部ですから、調停または審判によって監護者指定がされたとき、親権と監護権との関係性が問題となりますが、この問題は、学説上の争いがあり結論が出ていません。
単独親権の父母と子の監護者指定
単独親権となった離婚後の父母、または最初から単独親権である未婚の父母においては、父母の一方が親権者かつ監護権者です。
子の監護者指定により、非親権者が監護者となった場合の考え方として、
- 監護権が親権者から監護者に移る
- 監護者の監護権は停止からの回復である
- 親権者と監護者の双方に監護権がある
- 監護権は親権者にあり監護者が代行する
このような違いがあります。
なお、民法第766条は「子の監護をすべき者」を定めているのであって、子の監護をすべき者を定めた結果、監護権の帰属がどうなるのかについては規定されていません。
①監護権が親権者から監護者に移るとした場合
子の監護者指定によって、親権者が監護権を喪失し、監護者に監護権だけが移る(分離分属する)場合、言い換えると監護者は親権の一部行使権を取得、つまり部分的にでも親権行使者ではないのかという疑問が残ります。
そうすると、これは単独親権?となってしまいますが、あくまでも「監護権以外を行使できる親権者」と「監護権を行使できる監護者」ということなのでしょうか。
親権者としての地位は、子の監護者指定後も変わらず、やはり単独親権なのかもしれません。
②監護者の監護権は停止からの回復であるとした場合
この考え方は、離婚時に非親権者となった側が、親権を失うのではなく親権を行使できなくなったに過ぎないという前提があります。
つまり、子の監護者指定により非親権者が監護権を取得するのではなく、元から存在かつ停止されていた親権のうち監護権が回復するという考え方です。
親権者であるかどうかにかかわらず、親には常に親権がある(非親権者は停止状態)とした場合、離婚なら元親権者なので一応の整合性は保たれます。
しかし、婚外子の父親が認知した瞬間に、停止状態の親権が父親に存在すると観念できるのか、また、単独親権者の死亡で生存親の親権が当然には回復しない(未成年後見人が選任される)点など、整理すべき論点が多いように感じます。
③親権者と監護者の双方に監護権があるとした場合
監護者が監護権を有しますが、親権者の監護権は失われず、その行使が制限される(停止・休眠)とする考え方です。学説上では有力なようです。
また、2026年5月までに施行される改正民法では、監護者の権利義務を新たに規定し、子の身上監護について親権者と同一の権利義務を有すると規定しています。
さらに、監護者が「単独で」子の身上監護をできること、親権者は監護者による子の身上監護を妨げてはならないとまで規定されています。
(2026年5月までに施行)改正民法 第八百二十四条の三
第七百六十六条(第七百四十九条、第七百七十一条及び第七百八十八条において準用する場合を含む。)の規定により定められた子の監護をすべき者は、第八百二十条から第八百二十三条までに規定する事項について、親権を行う者と同一の権利義務を有する。この場合において、子の監護をすべき者は、単独で、子の監護及び教育、居所の指定及び変更並びに営業の許可、その許可の取消し及びその制限をすることができる。2 前項の場合には、親権を行う者(子の監護をすべき者を除く。)は、子の監護をすべき者が同項後段の規定による行為をすることを妨げてはならない。
改正民法は、子の監護者を定めた場合に、親権者の監護権が監護者に劣後する規定となっており(事実上の停止)、施行後はもはや監護権の帰属について議論の余地はありません。
親権者の監護権がどうであれ、監護者が単独で監護できるからです。
④監護権は親権者にあり監護者が代行する
単独親権の原則を貫くと、監護者による子の監護は、子の福祉の観点から例外的に認められた監護権の代行だと考えることもできます。
しかし、監護者による子の監護が監護権の代行に過ぎなければ、監護責任は親権者が負わなければならず、実際には監護者の責任で子を監護しているでしょう。
この考え方は、単独親権との整合性を図るための技術論の感が否めず、実態とは合わないと感じます。
共同親権の父母と子の監護者指定
共同親権では、監護権を含む親権を父母双方が有しているため、子の監護者が指定されたところで、別居親の監護権が喪失するという考え方は馴染みませんし、監護権の代行でもありません(監護者は親権者でもあるので)。
したがって、別居親の親権のうち、子の日常にかかわる監護権は制限を受けるのに等しく(単独親権での③)、共同親権者として関与できるとすれば、子の進路や手術の同意など重要な決定事項です。
もちろん、父母が物理的に離れて暮らしていると、別居親は日常的に子を監護できませんが、それでも親権者の一方として、子の監護にかかわる権利と義務があります。
それが、子の監護者の指定によって難しくなるということです。
このように、単独親権であるか共同親権であるかは、実質的に大きな違いはなく、どちらであっても子の監護者の指定後は親権者の監護権が制限され、監護者の単独監護状態となります。
そして、改正民法の施行後は、規定として明文化されます。
立法も司法も共同監護が可能とは考えていない
ここまで、子の監護者が指定された場合に、親権者の監護権がどのように考えられているのか説明してきました。
当サイト管理人がどうしても理解できないのは、両親との触れ合いが子の生育にとってプラスに働くことを、様々な研究が示唆しているにもかかわらず、共同監護(共同養育)に向かうどころか真逆に突き進んでいる現状です。
虐待のような子に不利益がある例外は当然考慮するとして、そうではない別居親と子とのかかわりを、あえて減らす方向はなぜなのでしょうか?
もっとも、共同監護に父母の協力が大前提であるのは当然のこと、父母(別居親と子)の居所が物理的に近くなければ共同監護は実現しません。
したがって、父母が協力的かつ居所が近いときは、制度がなくても共同監護できるのでしょう。
求められているのは、父母が非協力的または居所が遠くても、子が両親と触れ合う機会、別居親が子の監護にかかわる機会を最大限にする制度であって、なぜ逆に向かっているのか理解に苦しみます。
選択的共同親権は別居親の救いになるのか?
選択的共同親権制度が実施され、別居親が何とか共同親権にこぎつけたとしても、子の監護状況は大きく変わらないと思われます。
なぜなら、改正民法は、監護者が単独で子を監護できると明記しているからです。
別居親にとって頼みの綱である面会交流は、せいぜい1か月~2か月に1回が相場で、共同監護にはほど遠いですよね。
参考:面会交流の頻度と実施状況
子と離れて暮らす親は、純粋に子を愛し、子と会って少しでも時間を共有したいと願っているだけなのに、共同監護の可能性はみじんも考慮されず「面会交流を申し立ててください」と真顔で家庭裁判所は言うのです。
例えば、別居親が子の生活(通園・通学などの日常生活)に対して、
- 不都合を与えない距離に住んでいる
- または不都合を与えない環境(送り迎え可能など)を提供できる
場合は、子の意思を尊重して、両親の家を自由に行き来する生活ができるようにしてあげれはよいのであり、監護者が単独で子の身上監護をできるとする規定は、居所指定権が子の意思を制限してしまう配慮がどこにもありません。
あとがき
親同士の確執と、親子の関係・子の監護環境を別に考える必要があるのは、従来から言われ続けているところです。
子にとって、争っている両親はどちらも親であり、親の争いが子の精神に良い影響を与えないのは、誰でも想像できます。
大人である親が感情を抑え、子の監護では協力できるのが理想的だとはいえ、なかなかうまくいかないのは確かでしょう。親の意識改革は必須です。
「共同監護したいならできる人だけご自由にどうぞ。制度としては単独監護です」という制度設計は、子の利益になるのでしょうか。片親疎外を助長するように思えます。
とりわけ、実の親子が会うのに監護親が反対したら、裁判所手続(面会交流調停・審判)しか手立てがない現実に、違和感を覚えない立法・司法の感性が個人的には信じられません。