調停への誤解は裁判所という先入観が生み出す

調停は裁判所で行うため、どうしても「裁判所」という言葉にイメージが先行して気乗りしないのではありませんか?

裁判所に行くこと自体が一生に一度もないという人だってたくさんいますし、裁判所に行かなければならない状況を誰かに話すと、大層なことだという扱いをされてしまいます。しかも、決して良いイメージではないのが気になるところでしょう。

裁判所に慣れているといっては変ですが、経験がある方以外は、友人が裁判所に行くといったら「どうして?」と聞き返すのではないでしょうか。

そのくらい、日常的な生活からかけ離れている裁判所ですから、調停も含め裁判所自体に抵抗があるのも無理はありません。

裁判所=裁判官=判決という先入観

確かに訴訟であれば、判決によって自分の一生を左右しかねない状況もあり得るところで、本人の意向はどうであれ、判決は司法制度上絶対的なものです。

判決に不服があり、控訴・上告して争い続けるとすれば、どうしても譲れない内容くらいですし、一般市民が争い続けるには、とてつもない負担を強いられるのが通常で、支援団体でもないと多くの人が続かずに諦めてしまうのが訴訟です。

昔から「お上」という言葉がありますが、警察や裁判所は、一般市民にとって非日常の「お上」以外の何物でもなく、絶対的な公権力から逆らえないイメージが強くありますよね。

同じように特殊な職業というのは、警察官や裁判官だけではなく、民間では医者や弁護士だってそうでしょう。どちらも「先生」と良く呼ばれます。

ところが、お医者さんは割と身近な存在で、自分と合わないと思ったら違う病院に行くこともできますし、いわゆる口コミで病院を訪れることだってできます。

一方、非日常にあたる裁判所にいる裁判官というのは、法の番人として絶対的な立場にあるので、一般市民からみれば萎縮してしまうもの当然ともいえます。

訴訟と調停を同じに考えると誤解する

権力をもった裁判官がいる裁判所で行う調停は、経験したことがなければ、訴訟と同じように近寄りがたいものとして捉えられているのが一般的です。

しかし、調停という制度は、あなたが考えているような、堅苦しく重たいものではないということをどうか理解してください。調停を運営する調停委員会には、裁判官も参加していますが、調停での話合いは調停委員が対応します。

調停委員は民間人(非常勤の裁判所職員)ですし、調停で裁判所から何かを強制され、命令を下されるようなこともないのです。調停は話合いの場として提供されており、誰もがその利用を妨げられるものではありません。

調停は裁判所手続の入口

何かトラブルが起こったとき、誰かに相談できる人はまだ幸せと言えます。相談して解決すればもっと幸せと言えます。それで済めば万々歳ですが、多くはただ話を聞いてくれるだけで何もしてもらえないでしょう。

行政にもたくさんの相談窓口があり、中には無料の弁護士相談を行っている場合もあります。それでも、調停に持ち込まれる争いというのは、誰かに相談したり、用意されている相談窓口で簡単に解決できる内容ではありません。

もちろん、調停でも解決できるとは限らないのですが、どうしても解決できない争いは裁判所手続に頼るしかなく、調停はその入口として存在しています。

調停は裁判所で行われることに意味がある

調停が裁判所で行われることを理由に敬遠するのは、何のために調停制度があり、何のために裁判所で行われるのか、その意味を知らないからです。調停が裁判所で行わなければ、誰かに仲裁してもらうのとそれほど変わりません。

司法という三権の1つを担う裁判所で行われるからこそ、調停で決まった内容が裁判所という後ろ盾によって実現性を持ちます。具体的には、調停調書へ記載されることで、当事者間の取決めが法的な拘束力を持つのです。

また、裁判所という言葉に対するイメージは、話合いを進めていく上で、時には良い方向にも作用すると考えたことはあるでしょうか?

なぜなら、当事者間なら無理な主張をしても相手に反発されるだけで済みますが、調停委員という第三者に、しかも裁判所という場所で筋の通らない主張をするのは、誰でも無理だと知っているからです。

したがって、あまりにも主張が食い違うようなら、調停委員に話を聞いてもらうだけでも意味があるのではないでしょうか。全ての争いが調停で解決するものではないですが、裁判所というだけで敬遠するのは違うと知っておくべきです。

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